昭和11年は西暦何年?満90歳を迎える卒寿と激動の1936年を徹底解説

昭和11年は西暦何年?満90歳を迎える卒寿と激動の1936年を徹底解説の背景について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。

昭和11年を語る上で避けて通れないのが、同年上半期に立て続けに発生した「二・二六事件」と「阿部定事件」です。政治と性愛という両極端な領域で起きたこの2つの事件は、当時の世相を端的に映し出しています。

軍国主義の決定打となった「二・二六事件」の生々しい実態

1936年2月26日未明、東京を記録的な豪雪が覆うなか、陸軍の皇道派青年将校たちに率いられた約1,400名の反乱部隊が重臣たちを急襲しました。標的となったのは岡田啓介首相官邸、斎藤実内大臣邸、高橋是清蔵相邸、渡辺錠太郎教育総監邸などです。大蔵大臣の高橋是清や内大臣の斎藤実らが命を奪われ、東京中枢は数日間にわたり占領状態に陥りました。

当時の報道記録や公判記録によると、将校たちの掲げたスローガンは「昭和維新・尊皇討奸」でした。農村の極限的な飢餓や貧困を目の当たりにした青年将校たちは、特権階級である財閥や腐敗した政党政治を武力で排除し、天皇親政による国家改造を行えば国民が救われると盲信していたのです。しかし、昭和天皇は側近を殺害した反乱軍に対して激しい怒りを示し、「朕が自ら近衛師団を率いて鎮圧する」と宣言。事件は「反乱」と断定され、首謀者たちは非公開の軍法会議で迅速に死刑判決を受けました。

このクーデター未遂事件の皮肉な結末は、暴走した青年将校の排除にとどまらず、軍部(統制派)が「軍を抑えるためには軍の要求を飲むしかない」と政治的発言力を急激に強め、日本が全面的な軍国体制・泥沼の日中戦争へと傾斜していく決定的な引き金となった点にあります。

日常の裂け目から噴出した愛憎劇「阿部定事件」の衝撃

二・二六事件の衝撃が冷めやらぬわずか3カ月後の1936年5月18日、東京市荒川区尾久の待合「満佐喜」で、もう一つの社会現象が起きました。元芸妓の阿部定が、愛人であった料亭の主人・石田吉蔵を窒息死させ、局部を刃物で切り取って逃走した「阿部定事件」です。

戒厳令下にあり、軍部による重苦しい統制が社会を覆い始めていた最中、大衆はこの猟奇的かつ純粋すぎる愛憎劇に異様な関心を寄せました。逮捕された阿部定が警察に連行される際、どこか晴れやかな笑みを浮かべていた写真は当時の大衆誌や新聞の号外を賑わせ、現代の犯罪心理学や風俗史においても「閉塞した戦時体制下における性的エネルギーの暴走」として広く研究されています。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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