新撰組総長・山南敬助切腹の謎|脱走の真実と近藤・土方との確執
新撰組総長・山南敬助切腹の謎|脱走の真実と近藤・土方との確執を詳しくリサーチ! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。
追っ手となった沖田総司によって壬生へ連戻された山南は、隊の掟に従い、静かに自刃の道を受け入れます。元治2年(慶応元年)2月23日、壬生の前川邸で執行されたのが、世に名高い新選組前川邸切腹事件です。
当時、前川邸の広敷で行われた切腹において、山南は自ら介錯役に沖田総司を指名しました。沖田は試衛館時代からの弟分であり、山南を兄のように敬愛していた人物です。本来であれば脱走者の処刑を直視することすら耐え難い間柄でありながら、山南は自らの武士としての最期を、最も信頼する若き剣士に委ねました。立ち会った八木為三郎の手記によると、山南は取り乱す様子もなく極めて落ち着いた態度で刀を腹に突き立て、沖田の一太刀によって見事にその生涯を閉じました。介錯を終えた後の沖田は別室へ引き上げ、一人押し殺すように落涙したと伝えられています。
そして、この悲劇を象徴するもう一つのエピソードが山南敬助と明里の正体をめぐる逸話です。明里は、山南が懇意にしていた島原または壬生の遊女(一説には天保山あたりの芸妓)とされています。切腹の直前、前川邸の出格子の外に駆けつけた明里に対し、山南は格子越しに最後の言葉を交わし、別れを告げたとされます。子母澤寛の『新選組遺聞』などで情感豊かに描かれたこの場面は、文学的な潤色が加わっている可能性が指摘されているものの、山南という人物の人間味と幕末に散った名もなき女性の悲哀を物語る重要な情景として語り継がれています。