千年の都コンスタンティノープルはなぜ陥落?難攻不落を破った驚愕の奇策
千年の都コンスタンティノープルはなぜ陥落?難攻不落を破った驚愕の奇策の真相について、最新情報を取りまとめてご紹介します。
都市を征服したメフメト2世が真っ先に向かったのが、東方キリスト教の総本山であったハギア・ソフィア大聖堂でした。ビザンツ建築の最高峰と謳われる大ドームを目にした若きスルタンは、その壮麗さに息を呑み、破壊することなくモスク(イスラム教礼拝堂)へと転用することを命じました。
モザイク画は漆喰で丁寧に覆われ、四方にミナレット(尖塔)が増築されたハギア・ソフィアは、イスラムとキリストの文化が交錯する類稀な建築物として今日までその威容を保ち続けています。20世紀にはアタテュルクの世俗化政策により博物館となりましたが、現在は再びモスクとして多くの信徒と観光客を迎えています。
オスマン帝国の首都となった街は、トルコ語で「街へ」を意味するギリシャ語表現などに由来するイスタンブールへと通称が変わり、帝政崩壊後の1930年に正式名称として統一されました。また、18世紀から19世紀にかけて列強との間で締結された数々のコンスタンティノープル条約を通じて、都市は近代中東・バルカン半島の国境線と国際秩序の行方を決める外交の最前線であり続けました。