中森明穂の急逝と姉妹の確執|中森明菜が葬儀を欠席した真相と家族の現在
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姉妹の決定的な決別を決定づけた最大の契機が、1988年秋に表面化したセミヌード写真集およびイメージビデオの出版騒動です。当時、明穂側が明菜本人や所属事務所(研音)への事前の相談や許諾を一切取らないまま、過激な露出を伴う出版物の制作を強行。大々的な記者会見を開いて出版を発表しました。
明菜はこの暴走に激怒したと報じられています。当時、明菜は芸能界の第一線で孤軍奮闘し、自身のアーティスト性やパブリックイメージを命がけで守り抜いていました。妹の行動は、姉の名声を露骨に利用した売名行為に見えただけでなく、明菜が築き上げてきたブランドイメージを根底から揺るがす行為として映ったのです。関係者の証言によると、明菜は「なぜ事前に一言も相談してくれなかったのか」と深い絶望を味わったとされています。
さらに問題を悪化させたのが、中森家全体を巻き込んだ深刻な金銭トラブルでした。明菜の実家は清瀬市で中華料理店を営んでいましたが、明菜の稼いだ多額の資金をもとに、後にカラオケスナックなどが入る商業ビルの建設や事業転換が行われました。しかし、明菜本人があずかり知らぬところで、家族が明菜の所属事務所から多額の前借りや資金援助を引き出していた事実が露呈します。
「自分は家族を幸せにするために歌っているのに、家族は自分を単なる金づる(財布)としてしか見ていないのではないか」という猜疑心は、明菜の心に拭い去れない人間不信を植え付けました。実妹の写真集騒動は、こうした家族ぐるみの搾取構造の象徴的な出来事であり、姉妹の対話を断絶させる致命傷となったのです。