カルピス100年史の真相|内モンゴルから初恋の味、アサヒ統合へ

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カルピスの歴史を紐解く上で、創業者である三島海雲(みしま かいうん)という人物の破天荒な足跡を抜きにして語ることはできません。1878年(明治11年)、大阪・箕面の寺院に生まれた海雲は、僧侶の資格を持ちながらも広い世界を見据え、英語教師を経て20代半ばで単身中国大陸へと渡りました。北京で貿易会社を営んでいた海雲の運命を決定づけたのは、1908年、内モンゴルの大草原への遠征でした。

当時の移動手段は馬やラクダしかなく、極端な寒暖差と乾燥が旅人の体力を奪う過酷な環境でした。海雲は長旅の中で深刻な消化不良と胃腸病を発症し、一時は命の危険に晒されるほど衰弱しました。そのとき、現地の遊牧民が差し出したのが、牛や馬の乳を発酵させた伝統的な酸乳(現地の言葉でジョーヒやアイラグと呼ばれる発酵乳)でした。

最初は独特の酸味と匂いに戸惑った海雲でしたが、遊牧民の勧めに従って毎日飲み続けると、不思議なことに日を追うごとに胃腸の調子が整い、身体の芯から気力が蘇ってきたのです。海雲は自著の回顧録の中で当時の衝撃を「不老長寿の秘薬に出会ったかのようであった」と振り返っています。肉食中心で野菜をほとんど口にしない過酷な環境にありながら、モンゴルの遊牧民たちが驚異的な強健さを保っている秘密が、この酸乳にあると直感した瞬間でした。

1915年、辛亥革命の動乱を経て日本へ帰国した海雲の胸には、強烈な使命感が燃えていました。当時の日本は、結核や栄養失調に苦しむ人々が多く、平均寿命も40代前半にとどまる厳しい公衆衛生状態にありました。「内モンゴルで命を救われたあの発酵乳の力を、同胞の健康増進に役立てたい」——その一心で、海雲は1917年に「ラクトー株式会社」を設立し、乳製品の開発へと乗り出します。

しかし、本物の乳酸菌飲料を工業的に製品化する道のりは想像を絶する難事業でした。当初開発した酸乳菓子や濃縮酸乳は分離や変色を起こし、事業は赤字続きで暗礁に乗り上げます。転機が訪れたのは、バター製造の過程で大量に出る「脱脂乳」の活用を模索していた時のことでした。脱脂乳に独自の乳酸菌を加えて発酵させ、試行錯誤の末に偶然にも砂糖を加えて二次発酵(酵母による熟成)を促したところ、爽やかな芳香とコクを持つ全く新しい乳酸菌飲料が完成したのです。これが、1919年(大正8年)7月7日、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」が世に産声を上げた歴史的瞬間でした。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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