長崎平和祈念像の手の意味とは?右手と左手の違いやモデルの真相に迫る
長崎平和祈念像の手の意味とは?右手と左手の違いやモデルの真相に迫るについて見逃せない 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。
ネット上のQ&AサイトやSNSでは、「祈念像のモデルは実在の外国人レスラーなのか」「特定の被爆者がモデルになっているのか」といった憶測が長年飛び交っています。この点に関して、作者の手記や関係資料を精査すると興味深い事実が浮かび上がります。
結論から言えば、特定の個人をそのまま再現したモデルは存在しません。しかし、制作にあたって理想的な筋骨の美しさを抽出するための「肉体モデル」は複数存在しました。北村西望の自著『百歳の記』や当時のアトリエ記録によると、屈強な体躯をデッサンするために、当時早稲田大学柔道部の師範や屈強な学生、さらには大相撲の力士などをアトリエに招き、筋肉の付き方や骨格の陰影を克明にスケッチしたと記されています。
なぜ仏像のような穏やかな像ではなく、ギリシャ彫刻を思わせる筋骨隆々のたくましい体つきにしたのか。北村西望は生前、インタビューや手記で次のような趣旨の告白を残しています。
「病弱な肉体や悲壮感漂う姿では、原爆という人類最大の暴虐に打ち勝つことはできない。悪魔の兵器を永久に封じ込め、世界平和を守護するためには、人間を超えた神仏のような圧倒的な力強さと逞しさが必要だった」
作者である北村西望の経歴を紐解くと、この思想の根底がより鮮明になります。1884年(明治17年)、長崎県南高来郡(現・南島原市)に生まれた西望は、東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学び、文展や帝展で勇壮な男性裸体像を次々と発表して近代日本彫刻界を牽引しました。国会議事堂内の板垣退助像を手がけたことでも知られ、1958年には文化勲章を受章。102歳で天寿を全うする直前まで制作意欲を失わなかった巨匠です。西望にとって、故郷・長崎を襲った原爆への憤りと犠牲者への鎮魂は、自らの芸術家人生における最大の使命でした。人種や国籍の垣根を越え、西洋のヘラクレスのような肉体美と、東洋の如来像のような慈悲の表情を融合させたハイブリッドな造形こそ、西望が到達した人類普遍の祈りの形だったのです。