日本三大和牛の最後の1枠はどっち?近江牛と米沢牛の真実を徹底解剖
日本三大和牛の最後の1枠はどっち?近江牛と米沢牛の真実を徹底解剖の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。
日本三大和牛と耳にして、三重の「松阪牛」と兵庫の「神戸ビーフ(神戸牛)」を外す人はまずいないだろう。海外での圧倒的知名度を誇る神戸ビーフと、国内の肥育技術の極致とされる松阪牛の2大巨頭は、長年の実績からも揺るぎない。問題は、それに並ぶ「3つ目」の座だ。関西を中心とする西日本では近江牛が常識とされ、東日本や東北エリアでは米沢牛を推す声が根強い。
なぜこのような二頭立ての論争が生まれたのか。最大の理由は、ブランド牛としての「価値基準の置き所」が異なる点にある。
歴史の長さを絶対視するならば、近江牛の右に出るものはいない。江戸時代、彦根藩が徳川将軍家や親藩へ滋養強壮のための「養老反本丸(牛肉の味噌漬け)」を献上していた記録が残っており、その歴史は400年以上を数える。日本最古のブランド牛としての系譜と、近江商人のネットワークによる全国的な知名度獲得の功績は極めて大きい。
一方で、近代畜産ブランドとしての純粋な肉質の高さを誇るのが山形の米沢牛だ。明治8年(1875年)、米沢の洋学校に招かれた英国人英語教師チャールズ・ダラス氏が、現地で食べた牛肉のあまりの美味に驚嘆。任期を終えて横浜に帰る際、牛1頭を連れ帰り仲間に振る舞ったことで瞬く間に横浜居留地で評判となった。この劇的な近代化のエピソードを起点とし、山形県置賜(おきたま)地方の厳しい冬の寒暖差を活かした長期肥育によって、高品質な霜降り肉の代名詞へと駆け上がった経緯がある。
つまり、「400年の伝統と薬膳肉の歴史を持つ近江」と、「文明開化とともに世界標準の味として見出された米沢」という、まったく異なるバックグラウンドを持つ2者が競い合っているため、現在に至るまで決着がつかないのだ。