ムンクの叫びの作者とは?実は叫んでいない真相と壮絶な名画の全貌

ムンクの叫びの作者とは?実は叫んでいない真相と壮絶な名画の全貌の重要なポイントについて、最新情報を取りまとめてご紹介します。

本作の中央に立つ人物を見て、「恐ろしい形相で金切り声を上げている姿」だと思い込んでいる人は少なくありません。しかし、それは後世に広まった最大の誤解です。この人物は叫んでいるのではなく、世界中に響き渡る叫びを聞くまいとして両手で耳を塞いでいる状態を描いたものです。

この真実は、ムンク自身が1892年1月22日にニースで記した日記の日記帳(通称『紫のノート』)に記された制作契機の証言によって完全に証明されています。

「二人の友人と道を歩いていた。日が沈み、空が突然血のように赤く染まった。私は立ち止まり、疲労のあまり柵に寄りかかった。青黒いフィヨルドと都市の上に、炎のような血と舌が伸びていた。友人たちは歩き続けたが、私は不安に震えながらそこに立ち尽くしていた。そして、自然をつらぬく無限の叫びを聴いたのだ」

ムンクが体験したのは、夕暮れの空が突如として血の色に染まる幻覚のような異変と、大自然そのものが張り詰めた糸のように絶叫する共感覚的な恐怖でした。つまり、作中の人物は恐怖の発信源ではなく、耐えがたい「自然の叫び」に圧倒され、耳を塞いで慄いている被害者なのです。事実、本作のオリジナルのドイツ語題名は『Der Schrei der Natur(自然の叫び)』と名付けられていました。

では、あの奇怪な骸骨のようにも見える人物の容姿は、どこから着想を得たのでしょうか。美術史研究者の間では、ムンクが1889年のパリ万国博覧会を訪れた際、人類学博物館で目撃した「ペルーのチャチャポヤス族のミイラ」がモチーフになったという説が極めて有力視されています。膝を抱え、両手を頬に当てて口を開けたまま乾燥保存された古代の遺体のフォルムが、ムンクの脳裏に焼き付き、極限状態の精神を具現化するシンボルとして昇華されたと考えられています。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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