キムタクの履歴書を徹底解剖!叔母の応募写真からドラマの最強職歴まで
キムタクの履歴書を徹底解剖!叔母の応募写真からドラマの最強職歴までの要点や背景を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。
木村拓哉さんの芸能史における最初の1ページは、本人の野心からではなく、完全に「外部からの介入」によって開かれました。その主役こそが、ファンの間でも伝説として語り継がれる実の叔母です。
当時、中学3年生だった木村拓哉さんは、千葉県内の公立中学校で部活動や友人と遊ぶ日々に夢中な、ごく普通の少年でした。本人は芸能界に対して微塵も興味を抱いていませんでした。ところが、そんな甥の類稀なる端正な顔立ちと手足の長さに目をつけた叔母が、本人の了解を一切得ないまま、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP./STARTO ENTERTAINMENT)へ履歴書を郵送したのです。
オーディションの一次審査用として同封された写真は、スタジオでプロが撮影したものではなく、家族旅行や日常の中で偶然撮影されたノーメイクの自然体なスナップ写真でした。写真館でキメたポートレートではなく、無造作な日常を切り取った1枚の質感こそが、当時の事務所創業者・ジャニー喜多川氏の鋭い審美眼を強烈に射止めました。
やがて自宅に届けられたオーディション通知書を前に、本人は「絶対に行かない」と頑なに拒絶したといいます。しかし、「代官山のマクドナルドでおごってあげるから」という叔母や母親の巧妙な口車に乗せられ、半ば東京観光のような軽い気持ちで会場へ向かうこととなりました。
会場となったテレビ局のリハーサル室には、同じように夢を抱く少年たちがひしめき合っていました。そんな中、嫌々連れてこられた木村さんは最後列で不貞腐れていたと回顧されています。しかし、その斜に構えた佇まいと圧倒的なビジュアルは隠しようもなく、1987年11月、晴れて正式入所を果たすことになりました。叔母のお節介と1枚のスナップ写真がなければ、その後の日本のポップカルチャーの歴史は全く違うものになっていたに違いありません。