大宮駅「豆の木」の謎と行き方徹底検証!撤去の噂や由来の真相

大宮駅「豆の木」の謎と行き方徹底検証!撤去の噂や由来の真相の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

多くの人が「まめの木」と口にしますが、この呼び名はあくまで市民の間で自然発生した通称です。設置プレートに刻まれた大宮 豆の木 正式名称は「行きかう・線(いきかう・せん)」と名付けられています。

制作を手掛けた作者は彫刻家の岡本錦朋(おかもときんぽう)氏。1976年(昭和51年)10月、大宮青年会議所(大宮JC)が創立10周年を記念し、当時の国鉄大宮駅へ寄贈したパブリックアートです。一部のネット記事や伝聞では「行雲流水(こううんりゅうすい)」という名称と混同されているケースが見受けられますが、現地銘板や当時の寄贈記録に記された本来の作品名は「行きかう・線」が正しい事実です。

天に向かって複雑に絡み合いながら伸びる2本の金属の曲線は、東西南北へ延びる「交通機関の路線網」と、そこに集う「人間の相互関係」を象徴しています。二本の線が交差しながら上昇していく姿は、大宮という街が将来にわたって無限に発展していく躍動感を具現化したものです。

では、なぜこれほど抽象的で近代的な彫刻が「豆の木」と呼ばれるに至ったのでしょうか。その経緯には当時の人々の親しみやすい感性が関係しています。設置直後、駅コンコースに突如現れた天高くうねる銀色の巨木のような姿を見た市民の間で、「童話『ジャックと豆の木』に出てくる巨木そっくりだ」という声が自然と広まりました。難解な美術用語の「行きかう・線」よりも、童話のイメージを重ねた「豆の木」という愛称のほうが口馴染みが良く、昭和の終わりから平成にかけて待ち合わせの合言葉として急速に定着していったのです。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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