火垂るの墓』作者が抱えた妹への罪悪感とは?実体験と物語の差・衝撃の真相
火垂るの墓』作者が抱えた妹への罪悪感とは?実体験と物語の差・衝撃の真相について押さえておきたい 注意点を厳選して解説いたします。
野坂昭如の幼少期は波乱に満ちていた。生後間もなく母を亡くし、神戸の叔父宅に養子として引き取られた。しかし、1945年6月の神戸空襲が彼の人生を劇的に変える。家は焼失し、養父を失い、さらに疎開先の福井県で1歳の義妹・恵子と2人きりの生活を余儀なくされたのだ。
「自分だけが生き残ってしまった」。戦後の闇市や飢餓の中で、若い野坂は必死に生きた。だが、あばら骨が浮き出るほど痩せ細り、泣き叫ぶ妹の頭を思わず殴ってしまったこと、食べ物を一人で貪り食ってしまった罪悪感は、一生彼の心に沈殿し続けた。1967年に発表された小説『火垂るの墓』は、美しいフィクションの皮をかぶった、野坂自身による「妹への痛烈な謝罪文」だったのだ。