静嘉堂文庫美術館なぜ人気?丸の内移転の真相と曜変天目の見どころ

静嘉堂文庫美術館なぜ人気?丸の内移転の真相と曜変天目の見どころに関するポイントを詳しくまとめました。詳細な解説をご確認ください。

静嘉堂文庫美術館のルーツは、三菱第2代社長の岩崎彌之助と第4代社長の岩崎小弥太の父子2代によって築かれた類まれなコレクションにあります。国宝7件、重要文化財84件を含む約20万冊の古典籍と約6,500件の東洋古美術品を収蔵するこの美の殿堂は、長らく世田谷区岡本の自然豊かな敷地で公開されてきました。

世田谷の旧館は、大正期に建てられたジョサイア・コンドル設計の岩崎家廟堂や英国風の文庫建築、四季折々の表情を見せる広大な庭園に囲まれた素晴らしい環境でした。しかし、最寄り駅である東急田園都市線の二子玉川駅や小田急線の成城学園前駅からバス利用を余儀なくされるなど、一般鑑賞者にとって決して交通の便が良い場所ではありませんでした。「隠れ里のような風情は愛されたものの、貴重な東洋美術の精華に触れられる来館者の層が限られていた」と、当時の状況を知る美術館関係者は振り返ります。

転機となったのは、静嘉堂創設130周年を迎えた2022年です。三菱創業150年の節目とも重なり、岩崎彌之助がかつて掲げた「文化財を私有せず、広く社会に供する」という志を現代の都市空間で具現化するプロジェクトが本格始動しました。移転先に選ばれたのは、1934年(昭和9年)に竣工し、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定された明治生命館の1階フロアでした。

丸の内は、岩崎彌之助が明治政府から広大な原野の払い下げを受け、日本屈指のオフィス街へと育て上げた「三菱発祥の地」そのものです。自らの歴史的アイデンティティが宿る重要文化財の近代建築のなかに、東洋の古美術を収めるという選択は、単なる利便性の向上にとどまらず、都市の記憶と至高の美を融合させる必然の帰結だったといえます。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest