五十歩百歩の本当の意味とは?孟子の由来や似たり寄ったりとの違いを解明

五十歩百歩の本当の意味とは?孟子の由来や似たり寄ったりとの違いを解明とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

五十歩百歩の由来と語源を紐解くには、紀元前4世紀の中国戦国時代、儒家の代表的思想家である中国古典『孟子』の「梁恵王(りょうのけいおう)上篇」に立ち戻る必要があります。

当時、魏(ぎ)の君主であった梁の恵王は、国力を高めるために熱心に政治改革をおこなっていました。ある日、恵王は孟子に対して次のような不満と疑問をぶつけます。「私は隣国の王たちよりも熱心に民を救い、飢饉があれば食糧を配っている。それなのに、なぜ我が国の人口は増えず、隣国の民が減らないのか?」と。民が増えないということは、王としての徳を慕って集まる者が少ないことを意味し、恵王は自らの努力が報われないことに苛立っていたのです。

これに対し、孟子は王が戦争好きであることを踏まえ、見事なたとえ話(比喩)で返答しました。

「戦場で太鼓が打ち鳴らされ、白刃が交わったとき、敗走した兵士がいたとします。ある兵士は100歩逃げて止まり、別の兵士は50歩逃げて止まりました。すると50歩逃げた兵士が、100歩逃げた兵士を指差して『あいつは臆病者だ!』と大笑いしました。王よ、これをご自分ならどう思われますか?」

恵王は思わず、「それはおかしい。100歩走らなかっただけで、逃げたことには変わりないではないか」と答えました。孟子はその瞬間を捉え、こう喝破したのです。「その理屈がお分かりなら、王よ、ご自身の国が隣国より民を多く集められるなどと望んではなりません」と。王の政策も隣国の暴政と比べれば小手先の施策に過ぎず、根本的な王道政治(仁政)を行っていない点では全く同じだと痛烈に批判したわけです。この緊迫感あふれる政治問答こそが、「五十歩百歩」の真の誕生ドラマでした。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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