麿赤兒の現在と伝説の経歴|息子・大森南朋ら家族の絆と舞踏の真実
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麿赤兒の経歴は、昭和のカウンターカルチャーと前衛芸術の歴史そのものです。本名は大森宏(おおもり ひろし)。父親は海軍大佐・大森潤一という厳格な軍人家庭の血を引いて奈良県に生まれ、戦後は石川県金沢市で育ちました。早稲田大学第一文学部演劇科に進学するも、既成概念に囚われた演劇教育に飽き足らず中退。劇団「ぶどうの会」を経て、舞踏の創始者である土方巽(ひじかた たつみ)に師事したことが、表現者としての決定的な転機となります。
1960年代半ば、劇作家・唐十郎とともに伝説のアングラ劇団「状況劇場」を旗揚げ。新宿の花園神社に紅テントを張り、既存の商業演劇を破壊する過激なパフォーマンスを敢行しました。麿赤兒はその異様な風貌と怪異なエネルギーで「紅テントの切り込み隊長」としてカルト的な人気を獲得します。
そして1972年、演劇と身体表現の新たな地平を切り拓くべく、暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を自ら設立しました。全身を白塗りや金粉で覆い、肉体の奥底に眠る情念や滑稽さをダイナミックに解放する様式「天賦典式(てんぷてんしき)」を確立。フランスをはじめ欧米諸国で公演を行い、世界中に「BUTOH」の衝撃を刻みつけました。
俳優としても早くから頭角を現し、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル Vol.1』でのヤクザの親分役や、北野武監督の『菊次郎の夏』など、映画代表作で強烈な爪痕を残します。テレビドラマにおいても、NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』『新選組!』『軍師官兵衛』から、フジテレビ系『ルパンの娘』の祖父・三雲巌役まで、シリアスとコメディを自在に行き来する唯一無二のバイプレイヤーとして国民的知名度を築きました。