斎藤道三に美濃を追われた悲運の守護・土岐頼芸!名門没落と最期の真実
斎藤道三に美濃を追われた悲運の守護・土岐頼芸!名門没落と最期の真実にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。
美濃を追われた後の頼芸は、名門のプライドを胸に各地を転々としながら美濃復帰を模索し続けました。その激動の歩みを年表で振り返ります。
追放後の頼芸は、妹の嫁ぎ先であった近江の六角氏や、尾張の織田信秀、さらには遠く上総国の土岐為頼を頼るなど、30年近くにわたり各地を漂流しました。最終的に甲斐の武田勝頼を頼っていましたが、天正10年(1582年)に織田信長による甲州征伐で武田家が滅亡。
盲目となり衰弱していた頼芸を見かねた織田信忠(信長の嫡男)や旧臣の計らいにより、ようやく美濃の地へ戻ることが許されました。美濃帰還から間もない天正10年12月、81歳前後の高齢による老衰(病死)で波乱の生涯を閉じました。かつて自らを追放した道三一族も、美濃を奪った信長もこの世を去った後での静かな最期でした。