柔道古賀稔彦の早すぎる死因と家族の現在|奇跡の五輪金メダル
今注目を集めている 柔道古賀稔彦の早すぎる死因と家族の現在|奇跡の五輪金メダルについて、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。
古賀氏のキャリアを語る上で欠かせないのが、1992年バルセロナオリンピックでの伝説的な金メダル獲得です。大会開幕直前、現地での乱取り稽古中、練習パートナーを務めていた後輩の吉田秀彦氏との攻防で左膝を負傷。診断は側副靭帯の重度損傷という、本来であれば畳に立つことすら不可能な絶望的アクシデントでした。
当時、日本選手団の医師団は出場辞退も視野に入れていましたが、本人の意志は揺らぎませんでした。「たとえ膝が壊れても畳に上がる」と決意し、痛み止めの注射を膝に打ちながら試合会場へ向かいました。代名詞であった強烈な踏み込みを要する一本背負いは完全に封じられた状態です。しかし古賀氏は、相手の力を利用する巧みな足技や内股、徹底した間合いのコントロールへと瞬時に戦術を切り替えました。
決勝戦ではハンガリーのハイトシュ選手と対峙し、激戦の末に判定勝ち。主審から勝者として手が挙げられた瞬間、畳の上で両手を突き上げ、コーチと抱き合って男泣きしたシーンは、日本スポーツ史屈指の感動劇として記憶されています。極限の苦境で自らの代名詞を封じられながら、勝機を見出し勝利を手繰り寄せたこの一戦こそ、古賀氏が「天才」かつ「真の勝負師」と呼ばれた所以です。