赤線と青線の決定的な違いとは?地図の境界線と消滅の全貌を解明
赤線と青線の決定的な違いとは?地図の境界線と消滅の全貌を解明についての真相をお届けします。
赤線と青線の並立といういびつな二重構造に終止符を打ったのが、1956年5月24日に公布された「売春防止法」です。この法律の成立に至る過程は、戦後日本における女性議員たちの執念の結晶とも言える政治ドラマでした。
市川房枝や神近市子をはじめとする超党派の女性議員連盟は、1948年以降、実に4度にわたって売春処罰法案を国会に提出しましたが、いずれも「赤線業者の猛烈なロビー活動」や男性議員たちの抵抗によって廃案に追い込まれていました。赤線組合は政治資金を惜しみなく投入し、「即座に禁止すれば何万人もの女性が路頭に迷い、治安が崩壊する」と強硬に主張し続けたのです。
事態を動かしたのは、国際的な批判の高まりと、生活困窮から赤線に売られた娘たちの悲痛な実態を報じる新聞各社の調査報道でした。法案はついに可決。廃業準備と女性たちの転業・更生のための約2年間の猶予期間を経て、1958年4月1日をもって法律が完全施行されました。
1958年3月31日の深夜、全国の赤線地帯では一斉に「お別れパーティー」が開かれました。当時のドキュメンタリー映像や証言によると、吉原や新宿の赤線街には最後の灯りを惜しむ客が殺到し、深夜零時を迎えた瞬間にネオンが一斉に消灯。翌朝、多くの店が「旅館」「下宿屋」「アパート」「純喫茶」の看板へ掛け替えられたのです。警察地図から「赤」と「青」の境界線が完全に抹消された瞬間でした。