「せきをしてもひとり」新資料が明かす漂泊の俳人・尾崎放哉の真実
「せきをしてもひとり」新資料が明かす漂泊の俳人・尾崎放哉の真実にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
五・七・五の三十一音や季語という伝統的な枠組みを打ち破り、自由なリズムで情念を詠み上げる自由律俳句。この新しい文学運動の先頭に立っていたのが、師であり主宰者でもあった荻原井泉水である。彼が創刊した俳誌『層雲』のもとには、既存の俳壇に納まりきらない異端の才能が集った。
同じく『層雲』で異彩を放ち、酒と行脚の生涯を送った種田山頭火と尾崎放哉は、しばしば「自由律俳句の双璧」として並べ称される。山頭火が「へちま咲いてふと書く気になった」と風のように流れる感情を詠んだとすれば、放哉の句はより室内的にして密室的、内省の極致とも言える粘着質で重厚な静寂を湛えている。
ふたりの漂泊者は直接行動をともにしたわけではない。しかし、社会のレールから外れ、身一つで言葉と対峙し続けた生き様は、近代日本文学の歴史において異彩を放つ漂泊文学の系譜を形作った。彼らにとって句を詠むことは、趣味でも教養でもなく、呼吸することと同義の生存証明だった。