鳥羽伏見の戦いなぜ旧幕府軍は敗北?勝敗の要因と慶喜逃亡の真相

鳥羽伏見の戦いなぜ旧幕府軍は敗北?勝敗の要因と慶喜逃亡の真相とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

激闘の舞台となった鳥羽・伏見の地は、現在も京都市内に数多くの史跡として保存されており、歴史ファンや観光客が当時の息吹を体感できるスポットとなっています。

1. 鳥羽伏見戦跡碑・小枝橋(京都市南区)
鳥羽方面の開戦地。鴨川にかかる小枝橋(こえだばし)のたもとで薩摩軍が旧幕府軍の通行を阻止し、最初の一砲が放たれた場所です。近くの鴨川公園内には「鳥羽伏見戦跡碑」が静かに佇んでいます。

2. 御香宮神社(京都市伏見区)
新政府軍(薩摩藩)の本営となった神社。高台に位置し、伏見奉行所を見下ろす絶好の砲撃陣地となりました。境内には伏見の戦いの記念碑があり、大砲の弾痕が残る部材など激戦の痕跡を今に伝えています。

3. 伏見奉行所跡(京都市伏見区)
新選組や会津藩兵が立て籠もり、新政府軍と壮絶な銃撃戦を展開した場所。現在は市営住宅などが建ち並ぶ一角に石碑が建立されており、かつての激闘を物語っています(近鉄伏見駅から徒歩約5分)。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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