石原裕次郎の死因と病歴の真相|52歳で逝去した大スター壮絶闘病記

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昭和を代表するスーパースターの命を最終的に奪った病は、肝細胞癌(原発性肝がん)でした。1987年7月17日午後4時26分、東京都新宿区の慶應義塾大学病院の一室で、裕次郎は静かに息を引き取りました。享年52歳。あまりにも早すぎる旅立ちに、列島は深い悲しみに包まれました。

死に至る直接の引き金となった肝細胞癌は、1984年頃にはすでに兆候が確認されていたとされます。しかし、当時の医療界では悪性腫瘍の本人告知はタブー視されており、裕次郎本人には「肝内胆管結石」あるいは「肝炎の悪化」という説明がなされていました。実兄である石原慎太郎や妻の石原まき子ら近親者、そして石原プロモーションの幹部のみが真実の病名を知り、本人に病状を悟らせまいと過酷な口裏合わせを続けていたのです。

1987年4月、高熱と体調不良を訴えて慶應義塾大学病院に緊急入院した段階で、病魔はすでに肝臓の広範囲を侵食していました。医師団による懸命な治療が続けられたものの、7月中旬に入ると容態が急変。呼吸困難と意識障害が進行し、最期の48時間は親族や石原軍団のメンバーが交代で病室に詰め、名前を呼び続ける緊迫した時間が続きました。

死の直前、薄れゆく意識のなかで発せられたとされる石原裕次郎 最後の言葉については、複数の証言が残されています。まき子夫人に対して絞り出すように伝えた「おい、まき子、ワインを持ってきてくれ」という言葉や、兄・慎太郎の手を握りしめながら呟いた「勝利の美酒を飲もう」というフレーズは、最後まで人生を愛し、弱音を吐かなかった映画人としての意地を物語っています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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