会津若松城はなぜ落ちなかった?赤瓦の秘密と難攻不落の真相を解明
会津若松城はなぜ落ちなかった?赤瓦の秘密と難攻不落の真相を解明とはどのようなものなのか? 専門的な分析を整理してお届けします。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争・会津籠城戦において、新政府軍はおよそ3,000発もの砲弾を城内に撃ち込みました。天守閣が無残なまでに破壊され蜂の巣のようになりながらも、城そのものは最後まで力尽きることなく持ちこたえました。この驚くべき防衛力を支えたのが、氏郷や加藤家が心血を注いだ軍事土木技術です。
城郭内部には、敵の直進を防ぎ十字砲火を浴びせる「枡形虎口(ますがたこぐち)」が随所に配置されていました。大手門近くに築かれた「北出丸」と「西出丸」は突出した馬出(うまだし)の役割を果たし、攻め寄せる敵兵を袋小路へ誘い込んで三方から狙撃できる構造となっています。敵兵からは「皆殺しの丸」と恐れられ、新政府軍も正面突破を諦めざるを得ませんでした。
もう一つの大きな特徴が、本丸の石垣に設置された「武者走り(むしゃばしり)」です。石垣をV字状に素早く駆け上がれる昇降階段であり、大手門の上に配備された兵力を状況に応じて瞬時に増援・移動させることが可能でした。
さらに、会津若松城を象徴する「赤瓦」にも重要な科学的理由が存在します。一般的な黒漆喰の黒瓦は、寒冷地において瓦内部の水分が凍結・膨張し、割れて崩落してしまう弱点がありました。そこで加藤家の時代、鉄分を含む釉薬を約1200度の高温で焼き付けた赤瓦が開発されたのです。吸水率が極めて低く凍結に耐え抜く赤瓦は、北国の厳しい風雪から城を守り抜くための必須技術でした。2011年の天守閣改修工事により幕末当時の赤瓦が忠実に復元され、現在は全国で唯一の赤瓦天守として往時の姿を伝えています。