キングダム蒙驁は凡将か名将か?王翦・桓騎を従えた手腕と史実の真実

キングダム蒙驁は凡将か名将か?王翦・桓騎を従えた手腕と史実の真実についての最新情報をお届けします。

漫画『キングダム』では温厚な好々爺・凡将として描かれる蒙驁ですが、中国の正史『史記』を開くと、その戦歴は驚くべき武功に満ち溢れています。史実における蒙驁(Meng Ao)は、秦が東方へ領土を広げる上で最も活躍した主力大将軍の一人でした。

【史実における蒙驁の主な活躍年表】 ・紀元前249年(荘襄王元年):東周を滅亡させ、韓の成皋・滎陽を攻略。交通の要衝に「三川郡」を設置する。 ・紀元前248年(荘襄王2年):趙を攻めて太原を奪い、魏の高都・汲など多数の城を陥落させる。 ・紀元前247年(荘襄王3年):魏を攻めて数々の城を奪うも、信陵君率いる五カ国連合軍に敗れて帰還。 ・紀元前244年(始皇帝3年):韓を攻め、13の城を奪取。 ・紀元前242年(始皇帝5年):魏を攻めて20の城を奪い、東郡を設置。 ・紀元前240年(始皇帝7年):秦国にて死去。

史実と作中の最大の違いは、史実の蒙驁はほぼ毎年軍を率いて出陣し、韓・魏・趙から計数十もの城を奪い取った超攻撃的名将である点です。三川郡や東郡の設置など、始皇帝(嬴政)の中華統一を可能にした領土基盤は、実質的に蒙驁の手によって築き上げられました。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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