背広とは?スーツとの違いや語源の真相・現代のマナーを徹底解説
背広とは?スーツとの違いや語源の真相・現代のマナーを徹底解説の詳細について、専門知識を詳しくお届けします。
背広という衣服が日本社会にどのように浸透していったのか、その歴史的背景を辿ると、日本の近代化と労働観の変遷が如実に浮かび上がります。
明治初期:フロックコートから「ラウンジ・ジャケット」への簡略化
明治5年(1872年)の「太政官布告」によって宮中の礼服が洋服と定められ、日本の近代化政策の一環として洋装化が急速に推進されました。当初の正装は裾の長い「フロックコート」や「モーニングコート」でしたが、これらは日常生活を送るには重厚で動きにくいものでした。
そこで英国の貴族たちが田舎の別荘やラウンジでくつろぐために着用していた丈の短い「ラウンジ・ジャケット」が日本に導入されます。裾を短く切り落とし、日常の執務に適したこの上着こそが「背広」の原型です。
大正〜昭和:サラリーマンの台頭と「国民服」としての定着
大正デモクラシー期から昭和初期にかけて、都市部でオフィスワークに従事する「サラリーマン層」が爆発的に増加しました。これにより、背広は一部の特権階級の衣服から、働く男性の標準着へと変化を遂げます。
戦時中の「国民服」着用令による一時的な中断を経て、戦後復興と高度経済成長期には、既製服(レディメイド)技術の進化とともに量産化が進展。「丸の内のビジネス街を埋め尽くす背広姿」は、日本の経済成長を象徴する風景となりました。