鶏口牛後の書き下し文と現代語訳を完全解説!テスト対策と故事の真意

鶏口牛後の書き下し文と現代語訳を完全解説!テスト対策と故事の真意の全貌を詳しく解説してご紹介します。

「鶏口牛後」という言葉が生まれた背景には、中国戦国時代(紀元前4世紀頃)の緊迫した外交情勢がありました。当時、西方で圧倒的な軍事力を誇っていたのが「秦」です。秦は東方の国々を虎視眈々と狙い、圧迫を強めていました。

この危機に立ち上がったのが、諸国をめぐって策を説いた縦横家(しょうおうか)の蘇秦(そしん)です。蘇秦が打ち出したのが、秦以外の6カ国(燕・趙・韓・魏・斉・楚)が南北に同盟を結び、一致団結して秦に対抗する「合従策(がっしょうさく)」でした。

蘇秦は、地理的に秦と国境を接し、最も恐怖を感じていた「韓」の宣恵王(せんけいおう)に謁見します。宣恵王は秦への臣従を考えて弱気になっていましたが、蘇秦はこう焚きつけました。

「韓の領土は広く、兵は精強です。それなのに秦に領土を割譲して膝を屈すれば、秦の要求は年々エスカレートし、国は滅びます。ことわざにも『寧為鶏口無為牛後』とあるではありませんか。賢明な王が、大国の牛後となって恥をさらしてよいはずがありません。」

この鋭い演説に心を動かされた宣恵王は秦への臣従を思いとどまり、合従同盟への参加を決意しました。この劇的な外交交渉の一部始終が、のちに前漢の司馬遷によって『史記』蘇秦列伝に、また劉向によって『戦国策』に編纂され、今日まで語り継がれています。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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