織田信長の妻・濃姫の真相に迫る|本能寺討死か生存か?史実と最期

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近年の歴史ファンの議論やSNS上では、「信長は冷酷非情な独裁者であり、妻や女性に対しても無慈悲だったのではないか」というイメージが散見されます。しかし、一次史料に残された信長の肉筆書状を検証すると、驚くほど細やかで人間味あふれる実態が浮かび上がってきます。

その代表例が、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の正妻・ねね(おね)に宛てて信長が送ったとされる国宝級の書状です。秀吉の浮気に悩むねねに対し、信長は「あのはげねずみ(秀吉)があなたほどの美しい女性を差し置いて他所見をするとは言語道断。陽気にして堂々と振る舞いなさい」と温かく励まし、妻としてのプライドを保つよう助言しています。信長は身内の正妻が果たすべき家庭内・組織内の重みを誰よりも理解していました。

また、晩年に安土城を取り仕切ったお鍋の方に対する信頼も絶大でした。お鍋の方は戦乱で夫を失った後に信長の側室となった連れ子持ちの女性でしたが、その卓越した教養と差配能力を買われ、奥向き(家政組織)の最高責任者として安土城の台所や儀礼を取り仕切りました。本能寺の変が起きた際も、お鍋の方は迅速に女房衆を率いて安土城から日野城へと脱出を指揮しており、織田家内部における女性たちの組織統率力の高さが実証されています。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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