図越組の起源と現在|京都七条から会津小鉄会を支えた組織の真相

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図越組の歴史を紐解くうえで欠かせないのが、創設者である図越利一(1913年9月17日 - 1998年7月7日)の存在です。京都市下京区、京都駅北側に位置する「七条」周辺は、戦前から戦後にかけて交通の要衝であり、ヤミ市や歓楽街が密集する混沌としたエリアでした。この地で頭角を現した図越利一は、博徒系組織「中島会」の系譜を継ぎながら、自らの名を冠した「図越組」を結成します。

組織の名称の由来は文字通り図越利一の姓に由来しますが、当時の京都において「図越」の名は単なる一組織の看板を超えた重みを持ちました。特に戦後の混乱期、武装した勢力や不法行為を行う集団が跋扈(ばっこ)するなか、警察力の弱体化に悩む官憲と結びつきを強めたことが、図越組の勢力伸長における最大の契機となります。

その決定的な舞台となったのが、1946年1月に発生した七条警察署襲撃事件です。ヤミ煙草の取締りを契機に在日本朝鮮人連盟の群衆が七条警察署を包囲した際、劣勢に立たされた署長側が図越利一に支援を要請。図越組は組員を総動員して警察署内に待機し、署内に突入した集団を迎え撃ちました。激しい乱闘の結果、日本人側1名、連盟側4名から7名とされる死者を出す惨事となりましたが、この「警察をヤクザが守った」という特異な事件を経て、図越組は京都における圧倒的な発言権と治安維持の名分を手に入れたのです。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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