稀代の悪女エレナ・チャウシェスクの生涯|学歴詐称と銃殺刑の真相
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エレナ・チャウシェスク(旧姓ペトレスク)は1916年1月、ルーマニア南部の貧しい農村ペトレシュティに生まれました。幼少期の学業成績は極めて悪く、小学校を辛うじて修了した程度で、正式な高等教育を受けた経歴は一切ありませんでした。十代で首都ブカレストへ移り住み、紡績工場の労働者として働く中でルーマニア共産党の地下活動に加わります。
そこで出会ったのが、若き共産主義運動指導者であったニコラエ・チャウシェスクでした。1947年に二人は結婚し、第二次世界大戦後の共産党政権樹立とともに夫ニコラエが出世街道を駆け上がると、エレナの運命も大きく動き出します。1965年にニコラエが党書記長(事実上の最高指導者)に就任すると、エレナは単なるファーストレディの枠を急速に超えていきました。
転機となったのは、1971年の中国および北朝鮮への公式訪問でした。毛沢東の妻である江青(四人組の筆頭)や北朝鮮の個人崇拝体制に強い刺激を受けたエレナは、自らも政治の表舞台へ本格進出を図ります。党政治執行委員や科学技術評議会議長を歴任し、1980年には内閣第一副首相に就任。夫に次ぐ国家ナンバー2の実権を掌握し、事実上の共同統治体制を敷いたのです。