「願わくば花の下にて春死なん」の意味と西行法師が遂げた最期の真相
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この名歌を深く理解する上で、多くの人が見落としがちな決定的な史実があります。それは、「この歌は亡くなる直前の病床で詠まれた辞世の歌ではない」という点です。
西行の私家集である『山家集(さんかしゅう)』を丹念に調査すると、この歌は西行が60歳前後、すなわち亡くなる10年以上前の治承年間(1177年〜1181年頃)にすでに詠まれていたことが判明しています。つまり西行は、死の床で「ああ、桜の下で死ねたらいいのに」と漏らしたのではなく、健康なうちから「自らの理想とする死の光景」を明確にイメージし、それから10年以上の歳月をかけてその通りの最期を現実のものへと手繰り寄せたのです。
ここで、西行の生涯における死のデータと、関連する勅撰和歌集などの記録を比較表にまとめました。
文学史において極めて重要なのは、新古今和歌集 西行という構図です。『新古今和歌集』を撰進した藤原定家や後鳥羽院にとって、西行は神聖視されるほどの精神的カリスマでした。同集において西行は単独最多となる94首が入集しています。
なお、この「願わくば〜」自体は『新古今和歌集』ではなく、その後の勅撰集である『続古今和歌集』に収められています。しかし、定家をはじめとする新古今の歌人たちが西行の最期に抱いた畏敬の念が、『新古今和歌集』全体の幽玄・妖艶な美意識を決定づける原動力となったことは疑いようのない事実です。