100年前に日本が救ったポーランド孤児の真相と絆
100年前に日本が救ったポーランド孤児の真相と絆にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。
第一次世界大戦末期の1918年、123年ぶりに悲願の独立を果たしたポーランドでしたが、ユーラシア大陸の東端・シベリアには過酷な運命に取り残された同胞たちがいました。帝政ロシア時代に愛国運動や独立闘争を理由にシベリアへ流刑されたポーランド人の子孫たちです。
1917年のロシア革命とそれに続く内戦によってシベリア一帯は大混乱に陥り、食糧不足とチフスなどの伝染病が蔓延。親を亡くした子どもたちは零下数十度の極寒の中、ボロ布をまとい、廃屋や駅舎で飢えと凍死の危機に瀕していました。
現地のポーランド人有志によって結成された「救済委員会」(ウラジオストク)は、欧米列強や赤十字国際委員会に救難信号を発信したものの、混乱を極める戦況下で即座に動ける国はありませんでした。万策尽きた委員会会長のアナ・ビエルケヴィッチ女史らが最後の望みを託したのが、当時シベリア出兵で現地に軍を展開していた日本でした。
1920年6月、救済委員会からの切実なSOSを受理した外務省と日本赤十字社は、異例のスピードとなるわずか17日間で救護受託を決定します。軍事行動の是非をめぐり国論が揺れていた時期であったにもかかわらず、「目の前で命を落としかけている無垢な子どもたちを見捨てることはできない」という純粋な人道主義が国家の垣根を越えて機能した瞬間でした。