ボン・スコット死因の真相と最後の夜|Ac/Dc伝説の急死を検証
ボン・スコット死因の真相と最後の夜|Ac/Dc伝説の急死を検証に関する深掘り解説を詳しく解説いたします。
バンドの顔であり無二の親友を失ったAC/DCの歴史は、ここで完全に幕を閉じる可能性がありました。ギタリストのアンガス・ヤングとマルコム・ヤング兄弟は深い絶望に打ちひしがれ、一度はバンド解散を本気で考えたと述懐しています。
彼らを突き動かしたのは、オーストラリアに住むボンの両親からの言葉でした。「ボンは自分たちのせいでバンドが止まることを絶対に望まない。前を向いて演奏を続けてほしい」という激励を受けたメンバーは、活動継続を決断します。
後任ボーカルの選定において白羽の矢が立ったのが、かつてジョーディー(Geordie)というバンドで歌っていたブライアン・ジョンソンでした。生前、ボン・スコット自身が「あの男のステージパフォーマンスと叫びは本物だ」と絶賛していた記憶をヤング兄弟が思い出し、オーディションへと招聘したのです。
そして1980年7月、ボンの急逝からわずか5か月後にリリースされたのが、漆黒のジャケットに包まれた追悼アルバム『バック・イン・ブラック(Back in Black)』でした。オープニングを飾る「Hell's Bells」の重厚な鐘の音は亡きボンへの鎮魂歌であり、アルバムは世界で5,000万枚以上を売り上げる音楽史上最高峰のメガヒットを記録しました。アンガス・ヤングは後年のインタビューで「あのアルバムのすべての音符にボンの魂が宿っている」と語っています。