フォークル『イムジン河』発売中止の真相|封印と解禁の全軌跡
フォークル『イムジン河』発売中止の真相|封印と解禁の全軌跡の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。
1968年2月20日の午後、東芝音楽工業(後の東芝EMI/現・ユニバーサルミュージック)の会議室では重苦しい協議が行われていました。翌日に発売を控えていたザ・フォーク・クルセダーズの新曲『イムジン河』のシングル盤は、すでに初回プレス約13万枚が全国のレコード店へ出荷される体制を整えていました。しかし、会社首脳陣が下した決断は「発売中止・レコードの即時回収」という前代未聞の措置でした。
発売中止へと至った最大の要因は、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)からの強い申し入れでした。東芝側は当初、この楽曲を作者不詳の「朝鮮民謡」としてクレジットし、松山猛氏の作詞、加藤和彦氏の作曲・採譜としてレコードを制作していました。しかし、発売直前になって朝鮮総連側から「この曲は民謡ではなく、1957年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で作られた高名な楽曲(作詞:朴世永、作曲:高宗漢)である」という指摘が入ります。
さらに朝鮮総連側は、原作者のクレジットを正しく明記することに加え、松山氏が執筆した日本語詞が原詩の意図(社会主義祖国への賛美と南半球・韓国側の解放を願うプロパガンダ的側面)と異なり、南北分断の哀愁や平和への祈りへと改変されている点についても原詩通りの忠実な翻訳で歌うことを求めました。一方で、当時の日本政府と国交を結んでいた大韓民国(韓国)側への外交的配慮や、韓日条約締結直後という極めて敏感な政治情勢も重なり、東芝側は政治的紛争に巻き込まれるリスクを極度に恐れ、発売前日という極限のタイミングで白旗を揚げたのです。