設楽原決戦場の真相とは?三段撃ちの真実と馬防柵・現地巡り完全ガイド
設楽原決戦場の真相とは?三段撃ちの真実と馬防柵・現地巡り完全ガイドの背景について、専門知識を基に徹底解説します。
長年にわたり、信長が3000挺の鉄砲を揃え、3列に交代させながら途切れることなく射撃したという「三段撃ち」の伝説が定説のように語られてきました。しかし、近年の歴史学界では「織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作(嘘)ではないか」という議論が活発に行われています。
三段撃ちの記述が見られるのは主に江戸初期に書かれた『甫庵信長記』などの軍記物であり、信長の側近である太田牛一が記した一級史料『信長公記』には、3列交代で射撃したという具体的な記述はありません。実際の現場では、弾込め専任者を置く分業体制や、局所的な一斉集中射撃、さらには連吾川(れんごがわ)沿いに築かれた三重の馬防柵による足止めが複合的に機能していたと考えられています。三段撃ちという様式美にとらわれず、地形を巧みに利用した総合的な防御火網こそが、武田軍を粉砕したリアルの戦術でした。