『戦場のピアニスト』実話の真相|救った将校の壮絶な末路と奇跡の全貌
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本作が他のあらゆるホロコースト映画と一線を画し、冷徹なまでの生々しさを放っている背景には、監督を務めたロマン・ポランスキー自身の凄惨な少年期の実体験があります。
ポランスキー監督は幼少期、ポーランド南部のクラクフ・ゲットーに家族とともに収容されていました。母親はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られてガス室で殺害され(当時妊娠中でした)、父親もマウトハウゼン強制収容所へと送られました。わずか7歳だったポランスキーは、有刺鉄線の隙間からゲットーを脱出し、カトリック教徒のポーランド人農家に身元を偽って預けられることで奇跡的にホロコーストを生き延びた生粋のサバイバーです。
スティーヴン・スピルバーグ監督が名作『シンドラーのリスト』の監督をポランスキーに打診した際、ポランスキーは「舞台となったクラクフの街は自分自身のトラウマが生々しすぎてカメラを向けることができない」として固辞した経緯があります。しかし数年後、ワルシャワを舞台にしたシュピルマンの手記に出会ったことで、「これこそが自分が撮るべき映画だ」と覚悟を決め、メガホンを取りました。
映画に見られる「感情を排した客観的なカメラワーク」は、ポランスキー自身の記憶そのものです。車椅子の老人をナチス親衛隊がバルコニーから投げ落とす戦慄の場面や、路上で飢え死にした子供の服を剥ぎ取る人々の姿は、ポランスキーがゲットーの路上で実際に目撃した情景がそのまま投影されています。シュピルマンをいたずらに英雄視せず、ただただ怯え、空腹に耐え、運に身を委ねる一個の人間として描いたからこそ、この作品は観客の魂を揺さぶり続けています。
また、原作となったシュピルマンの手記そのものも特異な歴史を辿っています。戦後すぐの1946年にポーランドで『ある都市の死』として出版されたものの、当時のソビエト連邦・共産主義政権の検閲により即座に発禁処分とされました。「ナチスの中に善人がいたこと(ホーゼンフェルトの存在)」や「ユダヤ人ゲットー警察の中に残虐な裏切り者がいたこと」が、共産党の描く戦勝国の公式ナラティブに都合が悪かったためです。冷戦終結後の1998年、息子のアンジェイ氏の手によって英訳・世界各国で再刊され、ようやく歴史の闇から陽の目を見ることになりました。