ヴィルヘルム2世はなぜ大戦を招いたか?失脚とトラウマの深層検証
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ヴィルヘルム2世の失言癖が頂点に達したのが、1908年に発生した「デイリー・テレグラフ事件」です。イギリスの新聞『デイリー・テレグラフ』のインタビューに応じた皇帝は、「ドイツ国民の大半は反英的だが、私個人は親英派だ」「ボーア戦争では私がイギリスのために作戦計画を立ててやった」などと放言。この発言は英国内外で大炎上し、ドイツ議会(ライヒスターク)からも「皇帝の発言を制限せよ」と猛烈な突き上げを受け、皇帝は神経衰弱に陥るほど追い詰められました。
この事件以降、ヴィルヘルム2世の権威は失墜し、政策決定の主導権は官僚や軍部へと移っていきます。そして1914年8月に第一次世界大戦が始まると、その傾向は決定的となりました。
戦時中のドイツを事実上支配したのは、参謀次長エーリヒ・ルーデンドルフと参謀総長パウル・フォン・ヒンデンブルクによる「軍事独裁体制」でした。最高司令官の名目を持っていたヴィルヘルム2世は、重要な作戦会議から締め出され、前線を慰問して兵士に訓示を垂れるだけの日々を送ります。当時の側近の手記には、「皇帝は朝から晩までトランプ占いと散歩に明け暮れ、戦況の決定からは完全に隔離されていた」と記されており、開戦の元凶とされながらも、戦争末期には名ばかりの操り人形に成り下がっていたのです。