甲斐国は現在のどこ?山梨県との違いや武田信玄の拠点を徹底解明

甲斐国は現在のどこ?山梨県との違いや武田信玄の拠点を徹底解明の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

甲斐国を語る上で欠かせないのが、戦国大名・武田信玄(晴信)の動向です。信玄が本拠としたのは、現在の山梨県甲府市古府中町に位置する「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた / 正式名称:武田氏館跡、現在の武田神社)」でした。

織田信長が安土城を築き、上杉謙信が難攻不落の山城・春日山城に拠ったのに対し、信玄は生涯にわたって豪華絢爛な天守閣を持つ高層山城を本拠地にしませんでした。平地に築かれた館に住み続けた事実から「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という名言が生まれましたが、軍事地理学の視点から現場を検証すると、極めて緻密な防衛戦略が見えてきます。

第一に、躑躅ヶ崎館が置かれた立地そのものが天然の扇状地要塞でした。背後には険しい要害山(詰城である要害山城を配置)が控え、背後からの急襲を物理的に遮断しています。さらに左右を相川などの河川が流れ、自然の堀として機能していました。

第二に、甲府盆地全体が巨大な環状要塞であった点です。南に御坂山地、西に南アルプス(赤石山脈)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山塊がそびえ立ち、外部の敵勢力が甲府に侵入するには、必ず監視の行き届いた狭隘な峠道を通過せねばなりませんでした。外敵が盆地に足を踏み入れた瞬間に烽火(のろし)通信で察知し、盆地内で迎え撃つ迎撃態勢が整っていたからこそ、信玄はあえて平時の居館を生活の中心に据え続けることができたのです。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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