西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証
西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証に関する深掘り記事を分かりやすく解説します。関心のある方は必見です。
長年、俗説として語られてきた「西郷は武士らしく堂々と切腹して果てた」という英雄像ですが、陸軍軍医による公式の検死記録や、生き残った薩摩藩士の証言を突き合わせると、より凄惨な現実が浮かび上がってきます。
洞窟を出て岩崎谷を下る途上、西郷は新政府軍の歩兵陣地から放たれた乱射を浴びました。弾丸は西郷の右股関節および腰部を貫通。巨漢であった西郷は激痛と大量出血により自力歩行が完全に不可能となり、その場に崩れ落ちました。この銃創こそが肉体的な致命傷であり、医学的見地から見れば、放置していても数分から十数分で失血死に至る重篤な病態でした。
死期を悟った西郷は、皇居のある東方に向かって静かに正座し、襟を正しました。そして、傍らに付き添っていた従弟の別府晋介(べっぷ しんすけ)を振り返り、低く穏やかな声でこう告げたといいます。
「晋どん、もうここらでよか」
この言葉を受けた別府晋介は、「ごめんなったもんし(お許しください)」と叫びながら涙を振るい、太刀を一閃させて西郷を介錯しました。形式としての切腹の所作(腹に浅く刃を当てる動作)は行われたものの、実態としては銃弾による致命傷を受けた直後の介錯死というのが、史料が示す冷徹な死因の真相です。