デヴィ夫人の若い頃が美人すぎると話題!東洋の真珠の真実と劇的半生

デヴィ夫人の若い頃が美人すぎると話題!東洋の真珠の真実と劇的半生の注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。

1959年6月、19歳だった七保子の運命を根底から変える出来事が訪れます。国賓として来日していたインドネシアの建国の父、スカルノ大統領との馴れ初めです。帝国ホテルのバーで紹介された際、大統領は彼女の知性と気品に一目惚れしたと伝えられています。同年9月、単身ジャカルタへ渡航。当初は日本の商社を通じた特使的な立場と噂されましたが、彼女は現地で言葉と文化を驚異的なスピードで吸収し、大統領の精神的支柱となっていきました。

1962年、正式に婚姻を結び、第3夫人として「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(宝石の聖なる女神)」の名を授かります。大統領官邸「ヤソオ宮殿」で暮らす日々は、豪華絢爛そのものでした。しかし、その蜜月は長くは続きませんでした。1965年に勃発した軍事クーデター「9・30事件」により政情は一変。スカルノ大統領は軟禁状態に追い込まれます。デヴィ夫人は身重の体でジャカルタを脱出し、1967年に日本で長女を出産後、フランス・パリへの亡命を余儀なくされました。大統領夫人としての栄華から一転、国際的亡命者へと転落したこの時期こそ、彼女の真の強さが試された試練の時でした。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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