中川昭一が遺した真実|G7の失脚と再評価される国家戦略
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中川昭一氏の生涯は、父である中川一郎氏の存在と切っても切り離せません。「北海のヒグマ」と呼ばれ、農水相を務め自民党総裁選にも出馬した父・一郎氏は、1983年1月に札幌市内のホテルで57歳の若さで自死という衝撃的な最期を遂げました。当時日本興業銀行の行員だった昭一氏は、父の急逝を受けて政界へ身を投じることを決意。「父の無念を晴らし、郷土と日本を背負う」という宿命を背負ってのスタートでした。
しかし、宿命はあまりにも残酷な形で繰り返されます。2009年8月の衆院選で民主党の歴史的圧勝のあおりを受け、中川氏は地盤の北海道11区で惜敗。再起を期して活動を再開した矢先の2009年10月4日、東京都世田谷区の自宅寝室で倒れているのが発見され、56歳で急逝しました。警視庁による検視の結果、外傷や争った形跡はなく、事件性は否定され病死(急性循環器不全)と発表されました。生前の著しい精神的ストレス、不眠、多忙による身体疲弊が限界に達していたことが背景とされています。
その志を継ぐべく立ち上がったのが、妻 中川郁子(ゆうこ)氏でした。夫の急逝後、深い悲しみを抱えながらも北海道11区の支部長に就任。2012年の第46回衆議院議員総選挙で初当選を果たし、農林水産政務官を務めるなど、十勝の農業基盤強化や夫がライフワークとしていた地域経済の振興に尽力し続けています。