人とすれ違わない怪建築!会津さざえ堂の二重螺旋と歴史の謎を徹底解剖
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会津さざえ堂の正式名称は「旧正宗寺・円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。国指定重要文化財の登録名もこの名称が用いられています。「三匝(さんそう)」の「匝」という漢字には「めぐる」という意味があり、三匝堂とは文字通り「堂内を3回右回りに巡る建物」を指しています。
では、円通三匝堂の歴史と経緯を辿ると、なぜこのような特異な設計が生まれたのでしょうか。その鍵を握る人物が、当時この地にあった曹洞宗の寺院・正宗寺の住職であった郁堂和尚(いくどうおしょう)です。
会津さざえ堂を郁堂和尚が考案した真相には、当時の庶民が抱えていた切実な信仰の願いがありました。江戸時代、関西方面に点在する三十三箇所の観音霊場を巡る「西国三十三観音巡礼」は庶民の憧れでしたが、東北の会津から旅立つには莫大な費用と数ヶ月に及ぶ長旅が必要であり、貧しい人々や足腰の弱い高齢者には到底叶わぬ夢でした。
そこで郁堂和尚は、堂内のスロープ沿いに西国三十三観音の分身となる33体の観音像を順番に安置しました。参拝者がお堂に入り、一方通行のスロープを上って下りてくるだけで「三十三観音すべてに参拝したことと同じ功徳が得られる」という、画期的な巡礼シミュレーターを設計したのです。
参拝者が殺到しても通路が交差せず、誰一人立ち止まることなく安全に流れる動線は、大混雑を防ぐための高度な群集心理対策でもありました。明治初期の神仏分離・廃仏毀釈の嵐によって三十三観音像は取り去られ、現在は「皇朝二十四孝」の額絵が掲げられていますが、建物の宗教的イノベーションとしての価値は色あせることなく、1995年(平成7年)に会津若松が誇る国指定重要文化財として国の指定を受けました。