仁義なき戦いの原点「美能組」の真実!美能幸三の手記と組織の現在

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美能組の創設者である美能幸三は、1926年(大正15年)に広島県呉市で生まれました。若くして海軍に入隊し、過酷な軍隊生活を経験した美能は、敗戦による価値観の崩壊とともに荒廃した呉の街へと復員します。当時の呉市は、旧海軍工廠の解体と引揚者、進駐軍、ヤミ物資が錯綜する極めて治安の不安定な無法地帯と化していました。

生活の糧を得るためヤミ市で頭角を現した美能は、やがて呉の有力ヤクザであった土岡組幹部との衝突をきっかけに、同郷の顔役であった山村辰雄率いる「山村組」の盃を受けることになります。1949年には土岡組組長への襲撃事件(呉市電での銃撃事件)を起こして服役。出獄後の1952年頃に自らの城城として旗揚げしたのが「美能組」でした。

美能組は、元軍人や腕っぷしの強い若者たちを束ねた精鋭部隊として呉市内に強固な地盤を築きます。しかし、その武闘派としての実力は、後に激化する広島全土の覇権争いにおいて、組織の首魁たちが繰り広げる冷酷な権謀術数の最前線へ駆り出される悲劇の幕開けに過ぎませんでした。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

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