西村賢太の急死から現在|破滅型無頼派の生い立ちと遺された名作
西村賢太の急死から現在|破滅型無頼派の生い立ちと遺された名作の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。
西村賢太の人生を決定づけたのは、大正から昭和初期にかけて極貧の中で生き、38歳で野垂れ死んだ不遇の作家・藤澤清造との出会いです。29歳のときに古書店で清造の代表作『根津権現裏』を手にした西村は、激しい衝撃を受け、自らを清造の「没後弟子」と名乗るようになりました。
西村の師への傾倒は常軌を逸していました。原稿料や印税の大半を注ぎ込み、石川県七尾市にある清造の墓の維持・供養を続け、個人で巨額の資金を投じて『藤澤清造全集』を刊行。さらに、清造が1932年に凍死・行き倒れ死を遂げた東京都港区の芝公園六角堂跡を神聖な場所として崇め、命日には必ず現地を訪れて祈りを捧げていました。自らも清造と同じように孤独のうちに倒れるのではないかという予感を抱きながら、西村は師の影を追い、命を削るようにして原稿用紙に向かい続けたのです。