新撰組総長・山南敬助切腹の真相|近藤・土方との確執と脱走の裏側
新撰組総長・山南敬助切腹の真相|近藤・土方との確執と脱走の裏側の基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。
Q1:山南敬助の介錯を沖田総司が務めたのは本当ですか?なぜ彼だったのですか?
A1:史実として確認されています。切腹において介錯は、苦痛を最小限に抑えて武士の面目を保つための最重要役であり、最も信頼する剣の達人に頼むのが礼儀でした。試衛館時代から山南を兄のように慕っていた沖田総司を山南自らが指名し、沖田も苦渋の思いを押し殺して見事な一刀で介錯を果たしたと伝えられています。
Q2:新撰組の役職で「総長」を務めた人物は、山南敬助以外にもいたのですか?
A2:新撰組の歴史において「総長」の肩書を持った人物は山南敬助ただ一人です。山南の切腹以降、総長というポストは二度と置かれることはなく、近藤勇を頂点とし、土方歳三が単独の副長として全軍を直接統率する体制が幕末の終焉まで続きました。
Q3:山南敬助が眠るお墓はどこにあり、現在でも一般の参拝は可能ですか?
A3:京都市中京区壬生綾小路町にある「光縁寺」に山南敬助の墓があります。山南と当時の住職の親交から同寺に手厚く葬られました。現在も拝観料(維持協力金)を納めることで一般の参拝が可能です。また、切腹の現場となった「旧前川邸」も、公開日には多くの参拝者が訪れる史跡となっています。