太宰治はなぜ志賀直哉を痛烈批判したのか?『如是我聞』と確執の真相
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明治・大正期から揺るぎない評価を確立していた志賀直哉は、無駄を削ぎ落とした簡潔な文体と高い倫理観、そして私小説の極致を描くリアリズムによって「小説の神様」と崇められていました。学習院出身の上流階級という出自、自己肯定に裏打ちされた盤石のリアリズムは、当時の文壇における絶対的な規範でした。
対する太宰治は、津軽の大地主の家に生まれながらも強い罪悪感を抱き、道化を演じることでしか生きていけない破滅型の作家でした。敗戦後の虚無感に沈む庶民の心に深く刺さった太宰の文体は、告白と虚構が入り乱れる独白体であり、自己の弱さや恥部を晒し出す手法そのものでした。
文学の出発点から生き方に至るまで、二人はまさに正反対の極北に位置していました。太宰自身、若い頃から志賀の作品を精読しており、その卓越した描写力には一目置いていたものの、同時に上流階級特有の「恵まれた者の傲慢さ」に対しては抜きがたい反発心を募らせていたのです。