新選組最強の男・永倉新八の真実|小樽の晩年と沖田・斎藤を超える剣

新選組最強の男・永倉新八の真実|小樽の晩年と沖田・斎藤を超える剣の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

今日、私たちが新選組の活躍をドラマや小説、アニメなどで多角的に楽しめる最大の功労者は、間違いなく永倉新八です。明治政府の下では、新選組は「天皇に逆らった逆賊」「凶虐な暗殺集団」として徹底的に貶められていました。

その汚名をそそぐべく、大正2年(1913年)、70歳を超えた永倉は小樽新聞の記者による取材に応じ、自らの記憶を赤裸々に口述しました。これが連載記事として世に出た『新選組顛末記』(旧題:『七十余年号外 新選組顛末記』)です。芹沢鴨の暗殺、池田屋事件の生々しい戦闘、隊内規律の厳しさなど、一次当事者でなければ知り得ない詳細な証言は、新選組の歴史観を「血塗られた悪党」から「時代の激流に命を捧げた武士集団」へと劇的に塗り替えました。

また、明治9年(1876年)には、旧幕臣の松本良順らとともに発起人となり、近藤勇が処刑された地である東京都北区・JR板橋駅前に「新選組墳墓」を建立しました。近藤勇、土方歳三をはじめ、非業の死を遂げた110名もの隊士の名を刻んだこの慰霊碑は、かつて袂を分かった友への深い鎮魂と敬意の証です。

大正4年(1915年)1月5日、永倉新八は小樽の地において75歳で波乱の生涯を閉じました。公式記録に残る死因は骨膜炎(虫歯の悪化)から併発した敗血症でした。数多の白刃の下を潜り抜けた希代の剣客は、畳の上で家族に見守られながら静かに旅立ったのです。現在、彼の遺骨は板橋の新選組墳墓と、小樽の寿徳寺・札幌の里塚霊園に分骨され、静かに眠り続けています。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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