徳田虎雄の生涯と徳洲会の現在|Als闘病から事件の真相まで徹底解剖
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徳洲会が全国へ病院展開を進める過程は、既存の医療秩序との激しい戦争でした。当時、地域医療の主導権を握っていた日本医師会や地元医師会は、徳洲会の進出に対して猛烈な反対運動を展開。建設用地の買収妨害や医師の引き抜き阻止など、激しい攻防が各地で繰り広げられました。
日本医師会をバックに持つ自民党の医療政策に対抗するため、虎雄氏は「医療行政を根本から変えるには政治権力が必要だ」と確信。1983年の衆議院議員選挙(旧奄美群島区)に出馬し、自民党公認の保岡興治氏と血で血を洗う選挙戦を展開しました。この闘争は「保徳戦(やすとくせん)」と呼ばれ、金権選挙の極致として日本政治史に刻まれることになります。
1990年に初当選を果たした虎雄氏は、のちに政党「自由連合」を結成。巨大な医療組織のマンパワーと資金力をバックに政界再編のキャスティングボートを狙うなど、政財界を揺るがすフィクサーとしても存在感を高めました。