天草四郎の本名は益田四郎時貞!洗礼名や秀頼落胤説に隠された歴史の真相
天草四郎の本名は益田四郎時貞!洗礼名や秀頼落胤説に隠された歴史の真相の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。
教科書や歴史創作で定着している「天草四郎」という名称ですが、当時の公的記録や幕府側の追及記録における正式な本名は「益田四郎時貞(ますだ しろう ときさだ)」です。日常的な通称としては単に「益田四郎」あるいは「四郎」と呼ばれていました。
では、なぜ「天草」と呼ばれるようになったのか。その理由は、彼が蜂起した舞台が肥前国島原(現在の長崎県)とともに肥後国天草諸島(現在の熊本県天草市・上天草市)一帯であったこと、そして蜂起勢力の中核に天草の土豪・キリシタン信徒が多数含まれていたことに由来します。
当時の武士階級の慣習において、「四郎」は通称(仮名=けみょう)であり、「時貞」が本名にあたる諱(いみな・実名)でした。幕府軍の報告書である『島原記』や当時の諸藩の記録でも、首謀者として「益田甚兵衛が一子、四郎時貞」と明確に記されています。