「いい国つくろう」はなぜ消えた?鎌倉幕府1185年成立の真相と新常識
「いい国つくろう」はなぜ消えた?鎌倉幕府1185年成立の真相と新常識について重要なポイントを解説いたします。専門家の見解をご覧ください。
日本史の専門研究において、「鎌倉幕府はいつから始まったのか」という問いには長年複数の見解が存在してきました。幕府という恒久的な国家統治組織は、ある特定の一日で突如完成したわけではなく、約10年以上の歳月をかけて段階的に構築されたためです。
主な鎌倉幕府成立年諸説としては、以下の5つの画期が挙げられます。
- 1180年(治承4年):源頼朝が挙兵し、鎌倉に入って侍所を設置。東国の武士団を統率する独自の武家政権(東国政権)の骨格が誕生。
- 1183年(寿永2年):後白河法皇から「寿永二年十月宣旨」を受け、東国における事実上の支配権と徴税権を朝廷から公認される。
- 1185年(文治元年):平氏滅亡後、頼朝が後白河法皇に迫り「文治の勅許」を獲得。全国に守護・地頭の設置と兵粮米の徴収権を認めさせ、全国的な軍事・警察権を掌握。
- 1190年(建久元年):頼朝が上洛し、後白河法皇と対面して右近衛大将に任官。公家社会における最高幹部としての地位を獲得。
- 1192年(建久3年):後白河法皇の崩御後、頼朝が念願の征夷大将軍に任官。武士の棟梁としての名目的な頂点に立つ。
この中で守護地頭の設置(1185年)が決定打とみなされるようになった最大の理由は、「全国規模で治安維持と年貢徴収を代行する軍事行政ネットワークが完成した瞬間」だからです。京都の朝廷が持っていた地方統治権を武家が奪い、全国に自らの部下(御家人)を配置して支配下に置いた実態こそが、実質的な「幕府の成立」と定義されるに至りました。