「東京は関東ですか?」首都圏・関東甲信越との決定的な境界線と真相

「東京は関東ですか?」首都圏・関東甲信越との決定的な境界線と真相とは一体何なのか? 主要なファクトを簡潔に解説します。

東京を含むこの地域が「関東」と呼ばれるようになった歴史を遡ると、古代の防衛政策と関所の配置に行き着きます。言葉の原初的な意味は文字通り「関所の東側」を指す軍事地理上の概念でした。

奈良時代から平安時代にかけての古代律令制下では、現在の三重県にある「鈴鹿関」、岐阜県の「不破関」、福井県の「愛発関」(のちに滋賀県の「逢坂関」)が天下の三関と定められました。この三関より東の広大な諸国がすべて「関東」と呼ばれており、当時は現在の愛知県や静岡県なども含む極めて大雑把な枠組みでした。

その後、鎌倉時代に源頼朝が幕府を開いたことで、「関東」の重心は相模・武蔵を中心とする坂東八カ国(安房、上総、下総、常陸、上野、下野、武蔵、相模)へと固定化されます。室町時代の鎌倉府の支配領域を経て、江戸時代には徳川幕府直轄の治安維持組織である「関東取締出役」などが設置され、箱根関、小仏関、碓氷関などの内側に位置する「関八州(かんはっしゅう)」の枠組みが確立しました。

そして1868年の明治維新によって江戸が「東京」へと改称され、廃藩置県と幾多の府県統合を経て、1876(明治9)年頃に現在の1都6県の骨格が完成します。歴史的に武蔵国と呼ばれた地域の中核こそが現在の東京都区部であり、歴史的経緯から見ても東京を外して関東を語ることは不可能です。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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