公平と平等の違いとは?野球観戦の箱が教える本質と公正の差
公平と平等の違いとは?野球観戦の箱が教える本質と公正の差についての最新情報をお届けします。
「公平と平等の違いを最も直感的に理解できる」として世界中で引用され続けているのが、教育学者クレイグ・フロンマン(Craig Froehle)氏が2012年に考案した概念図を起点とする「野球観戦の木箱のイラスト」です。ネット上で一度は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
このイラストには、高い木製フェンスの前に立つ3人の人物が描かれています。1人目は背の高い大人、2人目は平均的な身長の少年、3人目は背の低い小さな子どもです。フェンスの向こう側では野球の試合が行われていますが、そのままでは大人しかグラウンドを見ることができません。
イラストの左側では、3人全員に対して「まったく同じ高さの木箱(踏み台)が1つずつ」配られています。これが「平等(Equality)」の考え方です。全員に差別なく、同じ支援や道具を均等に支給しています。しかし、その結果はどうでしょうか。もともと背が高い大人はさらに視界が良くなり、中くらいの少年はようやく試合が見えるようになりますが、背の低い子どもは箱に乗ってもフェンスの高さに届かず、依然として試合を見ることができません。つまり、「全員を一律に同じように扱う」こと自体は純粋であっても、スタートラインに個体差やハンディキャップがある場合、全員が同じ結果を享受することはできないのです。
一方、イラストの右側では、背の高い大人の箱をなくし、背の低い子どもに箱を2つ与えています。その結果、3人全員の目の高さがフェンスのラインを超え、全員が揃って試合を楽しめる状態が完成します。これが「公平(Equity)」です。個々が抱える背景、初期条件、制約の大きさに着目し、最終的に「誰もが同じゴール(この場合は試合を観戦すること)に到達できるよう、配分に傾斜をつける」というアプローチを意味します。
日常生活やビジネスで生じる衝突の多くは、この「平等の物差し」を当てはめるべき場面に「公平の物差し」を持ち込んだり、その逆を行ったりすることから発生しています。言葉の響きは似通っていても、目指している哲学が根本から異なっている点に留意しなければなりません。