舩坂弘軍曹の最強伝説と真相!アンガウル島生還から大盛堂書店創業まで
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1920年(大正9年)に栃木県の農家に生まれた舩坂弘は、1941年に陸軍へ入隊し、歩兵第59連隊第1大隊に配属されました。卓越した射撃技術と銃剣術の腕前を持ち、特別銃剣術徽章や射撃徽章などを授与されるほど優秀な兵士として頭角を現します。最終的な軍曹の階級に至る以前から、その卓越した戦闘技術と統率力は部隊内で高く評価されていました。
運命の転換点となったのは、1944年9月に始まったパラオ・アンガウル島の戦いです。圧倒的な物量と火力を誇る米軍約2万人に対し、日本軍の守備隊は約1,200人。絶望的な戦力差のなか、舩坂は擲弾筒(てきだんとう)の分隊長として最前線に立ち、押し寄せる敵部隊を相手に猛烈な反撃を加え続けました。
戦闘初日、米軍の砲撃によって左大腿部に重傷を負った舩坂は、軍医から「手の施しようがない」と自決用の手榴弾を手渡されるほどの状況に陥ります。しかし彼は決して命を諦めず、翌日には這いながら洞窟を脱出。日章旗で傷口を縛り、左足を引きずりながら再び戦線へと復帰しました。致命傷を負っても翌日には戦場へ戻ってくるその異様な生命力から、いつしか部隊内で「不死身の分隊長」と呼ばれるようになったのです。